【禅語不覚】掛け軸の禅語解説「無事是貴人」とはどんな意味か?無事をどのように解釈するか|茶人 松村宗亮の一客一亭
1 動画再生回数·2024/12/20
ご機嫌よろしくございますチャンネル世の中はハッピーに松山総理をでございます よろしくお願いします
久しぶりに本日は禅語深く私もね 禅語を
当然お塾なりいろいろなところで拝見する機会があるんですけれども なかなかね私のような属性のものにはね理解が及ばない
深遠なる世界なんですけども私なりにねその禅語というものを見ていこうということで その辺をねちょっとご一緒に共有してまた違うんですよとかありましたら
皆様からもね勉強していきたいと思いますが禅語をわからないままでもいいので 禅語を少し勉強してみようというコーナーでございます
松山さんはいつも背景軸多少に移るのでそれに気になってる人もいますから そうなんですよねご質問いただくんですけどね
本来ね私のようなものがね禅語を語るべきではないってなぁと思うんですけどね まあ言ってもお茶もしていますので何の意味があってこの禅語をかけてんの
ということをね少しは自分の中で落とし込んでいきたいなという思いもございます 一緒にね
見ていきたいとおもいます本日ご紹介していく 禅語はこちらでございます
一般的によく言うじゃないですか無事とかってね どんな意味で使われますかね無事ね
健康とか 大きな怪我がなくとかそういう時に無事って言うのかな
そうそうそう無事で 帰ってきてよかったとかね後悔の無事を願うとか
試験も無事に済んだとかねご無事で何よりですとかね そういう時ってまぁ
取り立てて言うほど変わったことがないこととかね 危険とか不幸とかが起こらなかった状態みたいな意味合いですよね
あとまぁ健康でいることとかね あとねまぁちょっと違う意味ではね
無事に苦しむってことでまぁ仕事がないこととか暇なこととか 文字通り何もないっても暇だーみたいなことですよね
の時にもね無事って使ったりするそうです 安穏であることあるいはすることがないこと暇のこと働きがないこととかね
あとは無用であることとか否定的な意味合いって感じですよね 無事これ気にんでそれ当てはめちゃうとなんかよくわからなくなっちゃいますよね
気にっていうのは尊い人っていうことなのでまぁ素晴らしい人みたいな意味合いだと思うんですが また一方でどこから来てる言葉とかと言いますと
臨済宗の階層でもあります臨済禅師の語った言葉が 臨済六に載っている言葉のようですね
もうとてつもない素晴らしいそういった宗教家の方が語った言葉ですので そういう意味合いじゃないだろうなってことはわかりますよね
いわゆる前後地点みたいなところから私も読みかじっただけなんですけども どういうことかと言いますと無事とは無造作であること
平常の意味であること なおさらわかんなくなってくる
迷いは愚か悟りにも整らずありのままでいること 本来の事故に立ち返った安らぎの状態であること
人為も入り込まない平穏誠意な世界にありようと 一切の作為を離れた自然のあり方
読んでみて読んでみてなおさらわからなくなるということなんですけども 暇だーとかっていうことじゃなくて自然は自然じゃないですか
日が昇って落ちて雨が降ったり天気があったり風が吹いたり 水が流れたり生き物が生まれてはまたいなくなっていくと
本当に自然な状態に人間の心とか体っていうのもそれに全く合っている状態
無理がない状態っていうのかな 無理がない状態ってどういうことなのっていうことなんですけど
前後的な解釈で言うと世の中に何か真理があるはずだ 悟りがあるはずだみたいな
教えがありますよね 当然だけどそういうところに至りたくて人はそれぞれ自分の何か
価値に求めて進んでいくんですけども 聖なる価値もありますし現代社会だったら何でしょうね
社会的な地位とかお金とか 財産とかもしくは何か一人から認めてもらいたいとかね
今だってSNSで色々いいねもらいたい 私もねいいねボタンとか言ってますけどまさにそうですよね
モテたいとかそういうことですよね 外にある価値もしくは宗教にすがるってこともあるかもしれませんけど
そういうことっていうのは外に求めている
状態なので無事ではないんですよね 前後的に言うとねもともとある気持ちじゃないんですよね
ただただ普通に自分でいて日常をこなしているっていうこと 外に何も求めてないっていうこと自体が
無事そういう状態を確立しちゃってるっていうことが キニンさんなんですよってことですよね
じゃあもうあの仏も神も関係ねーや
社会的知識も地位も関係ねーや 空気吸って食べ物食べてあとはもう寝てりゃいいやってなっちゃうと
それはもうなんでしょうね 無意ですよね外に私何も求めてません人からは何も認められなくても大丈夫です
っていう状態っていうのはちょっと違うというんですよね 難しいのが聖なるもの真実なるものを求めて求めて求めて求めてそれが自分の中に
落とし込めて大徳した後にもう何も求めてない状態っていうことこそが無事だと言う ああああああねえ
なかなかなかなか難しいですよね 無事これ機に人材種の回想人材全種の言葉ですよね
だからまあまとめて言いますと悟りに至るために 外部外に求めるんじゃなくて自分自身の可能性を掘り下げていくということ
外にも真実があったかと思うんですけどそれを求めることによって結局自分のことを 知っていって自分の中を掘り下げていったところに結局答えがあったってことなんでしょうか
ね どんな境遇にあっても自分がね
幸福な時もあるかもしれないし不幸な時もあるかもしれないし経済的にね 眠られている時もあるかもしれそうじゃないというかもしれない
どんな境遇にあったとしても何があってももう自分の中に 答えがあるわけですから当たり前のようにこなしていけること
うろうろ したり迷ったりすることがないということですね
そういう状態のこと本当の安らぎ何に対しても揺らぐことがない安らぎの境地を 心から実感したからこそ
そのままいける無事でいれる前後における無事の意味 福祉になりますけども平穏無事何事もない
っていう一般的な言葉じゃなくて外や他の他に何も救いを求めていない心の状態 こそが
気にんという風な意味合いだと 慣れない
慣れません 慣れないからね 素晴らしい言葉なんですけどやっぱり暮らしていると
世の中の外の価値観って 影響を受けてますよね少なからずね
そことの距離から自分の立ち位置をちょっと意識することもあると思いますしね 私は出世したいんだとか
私は人にすごいと思われたいんだとか 人よりこうなんか
なんだろうな 良い車を乗っているという風に成功している人として見られたいんだとかね
こう一般社会で暮らしているとこうそういう 外の価値観というものにどうしてもね左右されてきちゃいますよねまあ勉強ができる
あそこの大学が出てるそういう状態っていうのは本当の心の安らぎを得ていないって いうことですよね
自分の中に書くことある私は私でこれでも全肯定っていうような 心の状態ができていたとしたら
まあどんな境遇にあろうとどんな風に人から言われていようと全く緩むことがない ということですもんね
その状態に至っちゃったらそれは平穏ですよね まあそこまで行けるとね
なかなか至れないからこそのねこの素晴らしい言葉は前後なんでしょうけども そういう状態があるってことだけを意識しておけば素晴らしいなって思えることを知ってる
だけでもなんか価値あるような感じはしますけどね
松本さんなんで今日この言葉を取り上げようかと思われたんですか
結構ねあの年末にかかることが多い軸でもあるんですよね 今年もね無事でなり寄りでしたっていうような言葉って日常でも使いますよね
とにかくまあいろいろあったけどもまあ無事でしたっていうねこれかかっていてね お軸を改めてちょっと勉強したいなと思いましてこの軸を取り上げてみました
前後ってもしかして無って言葉多そうですよね いや無多いですよねすごくコアな思想だと思いますよね
前後 前において無っていうのはね
日常の中でねこういうことをどのように生かしていくかというのもね自分に問われている ことですよねこれ気に無事というふうな言葉日常で使えますけどね
その奥にある意味合いも少しね頭の中をよぎりながら使っていきたいなと思っております このように私のチャンネルではチャンネルにまつわる様々なことをご紹介
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