【ゆっくり解説】失敗した日本の限界ニュータウン5選

世界の未解明ミステリー【ゆっくり解説】
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2 回視聴·2024/12/02
今回は「失敗した日本の限界ニュータウン5選」を解説します。
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ゆっくり霊夢です。
ゆっくり魔理沙だぜ。
最近は奥さんって言ったらコンプラ違反になるらしいぜ。
じゃあなんて呼ぶの?
女性とかか?
性別の要素が入るのも、もはやギリギリよ。
じゃあそこの人は?
動物の種別が入るのも差別と捉えられるかもしれないわ。
存在とかありてあるものとかは?
もはやわけわかんないぜ。
というわけで、コンプラのギリギリを責めるもさも世の中には多いが、
今回は限界ギリギリまで追い詰められた新興住宅地、
失敗した日本の限界ニュータウン5000についてお届けしていくぜ。
ゆっくりしていってね。
1.千葉ニュータウン
最初に紹介するのは、千葉ニュータウンだ。
これはかつて日本一を目指しながら大失敗してしまった、悲劇のニュータウンの話だぜ。
というかそもそも霊夢は、ニュータウンってなんなのかわかるか?
新しい街ね。
和訳しただけだろ。
ニュータウンとは新興住宅地とも呼ばれ、
人口過密を避ける目的で郊外に新たに作られた市街地のことだぜ。
1960年代から80年代にかけて盛んに作られていたんだ。
日本の黄金時代ね。
高度経済成長期から日本では、都市部に人口が集まり人口過密の状態にあった。
これを解消するため、都市部に通勤が便利でなおかつ土地の安い場所に作られたのが、
これらのニュータウンというわけだ。
なるほどね。
人口が減りまくっている現代とは、麻落の状況だったわけね。
そんな中で作られたニュータウンの一つが、この千葉ニュータウンだ。
わかったわ。千葉って名乗りながら東京にあったのね。
ボーランドの逆やめろ。千葉ニュータウンは千葉県白石、船橋市、院際市にまたがるエリアに存在する。
1966年の計画当初は、人口34万人を収容する日本最大のニュータウンになるという触れ込みだったぜ。
34万人ってすごいわね。
私のフォロワーの半分くらいいるじゃない。
悲しい妄想だな。
1万倍ですすみません。
計画当初はここに北総開発鉄道という鉄道路線を通し、さらに新幹線の駅まで建設される予定だった。
千葉に新幹線って、あんま印象ないけど。
そう、現状では千葉県には新幹線は通っていない。
しかしその計画はあったぜ。
それが成田新幹線だ。
成田って、成田空港に行くための新幹線があったってこと?
そう、そもそも成田新幹線とは、東京と成田空港を結ぶ高速鉄道として計画されていたものだ。
具体的には東京駅と成田空港駅を結ぶ新幹線になる予定で、両駅間を最速30分で結ぶとされていた。
待って、新幹線なんて作らなくても成田に行く高速鉄道みたいなのあったでしょ?
そう、現代では成田エクスプレスが東京駅から成田空港駅を53分で結んでいる。
そう考えると30分で行けるのは、実現したら便利だったでしょうね。
しかしなんやかんやで計画は凍結。
そしてこの千葉ニュータウンにできる予定だった新幹線の駅こそ、千葉ニュータウン駅だぜ。
ほう、現在でも北総鉄道北総線の千葉ニュータウン駅というものが存在するが、
元はそれに隣接して北側に、成田新幹線の千葉ニュータウン駅も作られる予定だったんだ。
海外出張の多い人とかには便利な街になってたでしょうね。
このように新幹線の乗り入れも計画されるなど、
成り物入りで始まった千葉ニュータウンの計画なんだが、数々の不幸が襲う。
え?オイルショック、バブル崩壊、その他にも消費化など誤算が続き、
34万人の都市になるはずだったのが、14万人程度にまで計画が過方修正されてしまった。
大規模プロジェクトあるあるね。
さらに用地買収もスムーズには進まず、鉄道路線も建設が遅れた。
ああ、全てがドミノ倒しのように崩れていく。
これによって、建てた団地の物件を売ることもできず、新築のゴーストタウンとかしていた場所もあるらしいな。
別の意味で怖い幽霊話ね。
さらにせっかく通した鉄道路線北総開発鉄道も、これまた入居者募集の足枷となった。
なんで?鉄道がなくて人が来ないのはわかるけど。
まあ、ないよりはあった方が確かにマシなんだが、問題はその運賃だ。
ほう、なんとこの北総開発鉄道は改良当初、初乗り運賃が110円だった。
え、安すぎない?
いや、1979年にこの値段設定は実はべらぼうに高い。
え、その証拠に親会社の京成電鉄は、同じ年に初乗り運賃が70円だった。
それは高い。
2018年時点でも北総開発鉄道改め北総鉄道は初乗り運賃320円。
それはべらぼう。
かつて国会でもこの運賃の高さは議論になったことがあり、ようやく値下げが始まり、210円、190円と下げられていったんだ。
今じゃ見る影もないわね。
なんで悪いことみたいに言うんだ。
まあそんなわけで、日本一のニュータウンとなるはずだったのに。
正規の大失敗を遂げた千葉ニュータウンなんだが。
やっぱり現在は廃墟みたいになってるのかしら。
なんと東洋経済新報社による住み良さランキングでは、2012年から7年連続で、
そう、実はこの千葉ニュータウンは華麗なる復活を遂げたんだ。
失礼すぎるだろ。
この千葉ニュータウンは周囲の豊富な自然、そして近年次々と出展した。
大規模ショッピングモールのおかげで利便性が高まったことなどにより子育て世代の転入が増加。
この千葉ニュータウンが属する引済市は千葉県内でも高齢化率が低く、
さらに地盤が強固であるため災害リスクを抑えようと、金融機関や各種企業が次々と支店や拠点を開いているんだ。
ま、まさしく奇跡の大復活タウンじゃない。
というわけで、新幹線は通らなくても見事に蘇ったのが、このニュータウンというわけなんだぜ。
次に紹介するのは、多摩ニュータウンだ。
これは田園都市という近隣のもう一つのニュータウンの成功のかげで、無残にも破れ去ったニュータウン計画の話だぜ。
ほうほう、多摩ニュータウンは日本住宅高団と東京都が主体となって構想された。
これまた日本最大規模のニュータウンで、区域としては東京都稲城市、多摩市、八王子市、そして町田市などにまたがっている。
ふむふむ。
そして人口は30万人から40万人程度になるものと構想されていたぜ。
さっきの千葉ニュータウンに引けを取らない規模だったってことね。
ただし計画上はな。
はい。
で、この多摩ニュータウンに近い場所に、多摩田園都市というニュータウンも計画されていた。
これはよく聞く名前ね。
そう。この多摩田園都市は、東京都町田市に加え神奈川県川崎市、横浜市、大和市にまたがるニュータウンで、古くはあの渋沢栄一の構想に起源を持つものだ。
晴天をついた計画だったのね。
多摩ニュータウンと多摩田園都市、似た場所に計画された二つのニュータウンだが、
蓋を開けてみるとその明暗ははっきりと分かれた。
霊夢もご存知の多摩田園都市は人口なんと60万人、これは計画の倍だ。
計画の倍ってすごくない?
かたや今回紹介している多摩ニュータウンは計画の半分の人口、20万人に達する程度となった。
よくもまあそんな、ドラゴンボール実写家みたいにこけたものね。
やめてやれ。多摩ニュータウンが大失敗した理由は一体何だったのか。
ここからそれを探っていこう。
よろしくてよ。
まずは開発の遅れによる入居開始の遅れだ。
もっと言えば、幼稚買収が遅れたことにその原因がある。
どうして遅れたのかしら?
もともとこの辺りの土地を持っていたのは、大部分が農家だったんだが、
彼らの土地の中で農地以外に雑木林も多くあり、そこの樹木には焚き木の材料として大きな需要があった。
ほうほう。
まだそんな時代だったのね。
いや、実はその時代がまさしく終わりかけていた。
この多摩ニュータウンの計画が持ち上がっていた1960年代、
日本はそのエネルギー源として、ガスや石炭などを多く消費するようになり、
焚き木の供給源としての雑木林の需要はなくなっていくんだ。
悲しい。
こうなると、収入の道を断たれた農家はニュータウンの建設に積極的になった。
ちょうどその頃に買収の話が来たら、それは渡りに船よね。
しかしここで問題が起きる。
どうした?
農家は開発に賛成しつつも、多少は農業を続けたい、という人が多かったんだ。
ほうほう。
しかし土地買収の主体となった自治体は、土地を一括で買い上げたい。
ふむ。
結果として用地買収は進まず、計画は大幅に遅延したというわけだ。
まあウル側が農といえば農だから難しいわよね。
さらに起こった問題がインフラ開発に関するものだ。
たまニュータウンを抱える魂などは人口の増加を見越してインフラ、また学校などを整備しなくてはならなかった。
それは確かに必要よね。
しかしそれにかかる費用は魂の手に余る、何しろ大規模な開発だからな。
そこで魂はこんなことを言い出した。
東京都がインフラ整備の費用を負担しないなら、ニュータウンへの住民の入居は認めない。
え、そんな。
これが1970年のことだ。
入居ができないと、ニュータウンも何もあったものじゃない。
それじゃあ、物件が売れなくなるのも同然よね。
でもさすがにそんな異常事態は数日で解消。
それが4年続いた。
オリンピック見れちゃうじゃない。
しかもそれが収束する以前の1973年には、第一次オイルショックが起こり、なんと高度経済成長がストップしてしまう。
や、やばいわ。みんな財布の紐を締め始めちゃう。
まあそんなこんなで多くの入居者をこれで逃すことになったわけだな。
で、この他にも。
まだ出てくるの、問題ありすぎでしょ。
鉄道開発の遅れの問題もあった。
多摩ニュータウンの入居が開始したのは1969年だったが、実はその段階になっても、ここを通る鉄道はまだ開通していなかったんだ。
いやいやちゃんと時期合わせなさいよ、どうやって通勤しろと。
これは鉄道会社がなかなか路線を開発したがらなかったことによる。
どうして?本当に40万人の街になればドル箱路線必至じゃない?
いや、ニュータウンというのは開発当初からいきなり人口がマックスまで増えるわけじゃない。
成功するパターンでさえ、その人口は徐々に増えていくものだから、初期の段階ではむしろ赤字になる降参が大難だ。
飛んだ落とし穴ね。
しかもニュータウン内では鉄道会社が鉄道以外の事業を行えない仕組みになっていたため、不動産開発などでその赤字を補うこともできない。
つまり、儲からない仕事ってことね。
その通り。だからどこも鉄道を倒したがらず、結局公的資金のお世話になることになり、鉄道路線が開通したのは入居開始から5年後の1972年だ。
5年待ってようやく電車が来るなんて、どんな遅延なのよ。
そんなこんなで当初からグダグダだった多摩ニュータウンは、高度経済成長の時期を逃してしまい、多摩田園都市に大きく差をつけられる残念ニュータウンになり下がった、というわけだ。
悲しい。
3.茨城大ニュータウン
次に紹介するのは、茨城大ニュータウンだ。
これはバブル期に作られた限界ニュータウンの話だぜ。
限界?ってどういうこと?
まず霊夢は大阪府茨城市は知っているか?
聞いたことはあるわ。
茨城市は大阪市の別途タウンであり、人口は府内43市町村の中で8位だ。
そこそこ大きな街ってことね。
で、今回紹介する茨城大ニュータウンなんだが。
まりさったら、さっきから茨城大って言ってるけど、茨城市にあるんだから、茨城大でしょ?
いや、このニュータウンの名前は茨城大であってるぜ。
え?
ていうかもっと言えばこの茨城大ニュータウンは大阪府茨城市にはない。
え?え?
どういうこと?
これは京都深め岡市にあるんだ。
ならなぜその名前にした?
まあ、その方が通りがいいから、ということだろうな。
だから茨城と呼んで追求を交わしてるんじゃないか?
そんな理由で?
実際には人口の多い茨城市の茨城駅からは、車で30分以上はかかるようだな。
開発当時のパンフレットにはここの所在地について、非常に小さな文字で京都深め岡市って書かれていたらしいぜ。
びくびく。
当初、600区画が売り出され、土地だけでも1000万円程度したそうだがそれでも完売した。
これまで紹介してくれたやつに比べると、最初から随分と小規模だったのね。
まあそれでも完売しているから、この時点では失敗したとは言えない。
良かったわね。
じゃあこのまま順調に人口を増やして。
そうはいかないぜ。
ひ。
まあ確かに当初こそ人口は順調に増えた。
市街地からは遠かったものの、モノレールがここまで延伸されるという話もあり、
さらに第二名信高速道路の構想などもあった。
土地の購入者たちは便利で豊かな生活の予感に胸を躍らせていた。
しかし1980年代後半、あいつがやってくる。
誰?
バブル崩壊だ。
ぎゃあああああ。
この影響で、ここの開発を担当していた業者は次々と倒産してしまったんだ。
これによってこの場所の問題が顕在化する。
どういうこと?
この茨城大ニュータウンは行政の手を借りず、
開発業者の支給地として道路整備などが行われていたため、
当然、そこが倒産するとメンテナンスなどが行われなくなってしまったんだ。
え?
その結果、道路の補修工事、水道のメンテナンスなどは自治会が行うことになったぜ。
ちょ、行政何してんのよ。
そんなのまるで文明崩壊後のコロニーじゃない。
2021年には崖崩れが起きたが、
それも自治会がブルーシートを敷いて何とか対応したそうなんだ。
ただ高齢化も進み、人口は2020年で300人程度にまで減ったぜ。
そんなこんなでこのニュータウンは、限界ニュータウンと呼ばれるようになったんだ。
地下は開発当初から大幅に下がり、所有者の高齢化も進む。
草木が生い茂り、もはや所有者が不明となった場所も多く、空き家も多くなったぜ。
悲しい末路ね。
ただ一方で明るいニュースもある。
どうした?
昨今のリモートワークの広まりや、非常にリーズナブルな住宅価格を背景に、
リモートワーク用などの別荘として、ここの空き家を購入する例もあるんだ。
まさしく今の時代ならではの現象ね。
ひょっとしたらこの現象は、限界ニュータウンを脱するためのきっかけになるかもしれないな。
4.東海大ニュータウン
次に紹介するのは、東海大ニュータウンだ。
これは特に交通事情が災いして失敗に終わってしまった、名古屋の近くにあるニュータウンの話だぜ。
これは名古屋市の北東、小牧市にある愛知県が主体となって作られたニュータウンなんだが、
桃の花荷台なんて、華やかでおしゃれな名前ね。
やっぱり桃が生えていたりするの?
そう、霊夢の言う通り、かつてここは桃の産地として有名だった。
おそらくそれにちなんだ地名が、東海大なんだろうな。
現在でも桃の出荷が行われており、
2011年には新品種の小牧ゴールドも開発されているんだ。
そんな東海大なんだが、ここにニュータウンの建設が計画されたのは1968年のことだ。
5万4千人の人口と322ヘクタールの開発区域を持つ、代々的な計画だったぜ。
元はここはただの野原だったの?
野原というよりも桃畑の他、雑木林などが広がる丘陵地だったんだ。
しかし1970年代、ご多分に漏れずあいつがやってくる。
オイルショックね。
それで事業計画の見直しが相次ぎ。
まあ見直しというか縮小でしょうね。
計画人口も5万4千人から4万7千人に減らされてしまった。
それだけの削減で済めばいいけど。
済まなかったぜ。
でしょうね。
1980年代にはさらに4万人に減ることになる。
まあ計画上は減らされはしたものの、曲がりなりにも着工し住民もそれなりに集まった。
じゃあ失敗とまでは呼べなくない?
いや、本題はここからだ。
東華大ニュータウンで特に悪名高いのが、ビーチライナーの失敗だぜ。
名前は可愛いけど、それそもそも何なの?
ビーチライナーというのは交通機関の相性だ。
正式名称を、東華大新交通東華大線という。
交通機関って、ぼやっとした言い方ね。
なんではっきり鉄道って言わないの?
それは、この路線が厳密には鉄道ではなく、新交通システムつまり、
自動案内機常式旅客輸送システムの路線だからだ。
OK、日本語でいいわよ。
まあ線路っぽいものの上を走るんだが、鉄道の車輪じゃなくゴムタイヤで走っていること、
さらにコンピューターによる遠隔管理で、無人運転をしていることが特徴だぜ。
ほうほう、これは通常の鉄道よりは低スペックな交通手段ではあるものの、
建設費を安く抑えられる点が評価されたらしい。
ともかく、この東華大線はそういった新交通システムの路線なわけだが、
もともとこの地域には鉄道が走っていなかった。
そのため、ニュータウンの建設に伴い、
名古屋市などに通勤・通学する住民のための公共交通機関が求められたこともあって、
小牧市市街地とニュータウンを結ぶ、このピーチライナーが計画されたというわけだ。
うん、で、このピーチライナーの一体何が問題なの?
改良15年で廃止になったぜ。
何があった?
じゃあこのピーチライナーの遠隔と廃止の理由について探っていこう。
何よりこの路線は改良からして遅れに遅れた。
ニュータウンへの入居が始まったのは1980年なんだが、
ピーチライナーの改良はその10年後、1991年だぜ。
ほぼえと一回りじゃないの、その間にバブルもはじけてるし。
そしていざ改良してみると、初年度から利用者は、
そりゃかなりのものよね、何しろ名古屋に通勤する人はたくさん。
予想を大きく下回ったぜ。その大きな理由は、経由駅の貧さにある。
このピーチライナーは東加大ニュータウンの、東加大東駅から小牧駅までを結び、
通勤、通学客の多くはそこから名鉄小牧線に乗り換え、
名古屋の市街地に向かうことが想定されていたんだが、
ふむふむ、その接続がえらい面倒臭かったんだ。
ほう、なぜかといえば、ピーチライナーの利用客は小牧線に乗り換えてから、
小牧線で神井田駅に向かう。そこが名古屋都心部に向かうための起点だからな。
うん、しかしここで一つ問題がある。
その神井田駅は、東加大ニュータウンから名古屋の都心に行くための中間地点であるにもかかわらず、
なんとそれ以上、線路が繋がっていない、すなわち終点なんだ。
繋げときなさいよ。
だから乗客はここで神井田駅からバスに乗り換えるか、
もしくは名古屋市営地下鉄名城線の平安通駅まで徒歩で移動して、
そこから地下鉄で都心部に行く必要があった。
そういう事情もあってピーチライナーの利用は震わず、
みんなバスや直用車で都心に移動していたんだ。
当初、ピーチライナーの利用者予測は1日最大43,000人だった。
しかしそれは所詮、絵に描いたもも。
もちね。
実際の1日あたりの利用者数は、2,000人から3,000人程度だったようだな。
いや、どうしてそんなことに。
それが不便だっていうのは、計画段階からわかってたことでしょ?
実はその計画が問題だったんだ。
しかもその裏には公共交通にまつわる大いなる闇が潜んでいたんだぜ。
大体予想はつくけどね。
2005年、すなわちピーチライナー改良から実に14年も経った頃、
名古屋大学大学院の教授がこんな発表をしたんだ。
ピーチライナーの利用者予測は、競合路線を全く考慮していなかった。
どういうこと?
つまり、東海大ニュータウンから名古屋に行くまでの公共交通機関が、
このピーチライナーしかない場合と他にも手段がある場合で、
利用者数というものは全く違ってくる。
そりゃそうよね。
安い方に流れたり、あるいは高くても便利な方に行ったり、
で、実際にこのピーチライナーにはJR西日本中央線などの競合となる交通手段があったわけだが、
計画では全く考慮されていなかったんだ。
つまり、世の中に自分しか男がいないことを前提に、とびっきりの美人に告白するようなものね。
そう、まさしく現実離れした計画だった、というわけだな。
そんなこんなでぐだぐだだったピーチライナーの歴史は幕を閉じたんだ。
しかし実はその意向がその後しばらく残されていた。
その代表格が小牧駅のループ線だ。
ループ線って?
こんなやつだぜ。
なんか、ジェットコースターみたいに見えるけど。
これは始発駅と終着駅で車両が折り返すとき、進行方向を変えるのではなく、
このループ線をぐるっと回ることで、折り返しができるようにするためのものだ。
なんでこんな面倒くさい工事を。
これはピーチライナーに使われた百景という車両が一般的な鉄道とは違い、片側にしか運転台がないためだ。
だから常に、同じ方向に進行し続ける必要があり、そのために設けられたのがこのループ線というわけだ。
これが路線が廃止されてもしばらく残されており、ある意味、東海大ミュータウンの名物だったぜ。
どうして残したのかしら、時間が経つほど東海の危険とかも増すと思うけど。
一重に費用がかかりすぎるからだな。
しかし2015年から愛知県はやっと撤去に本腰を入れ、このループも見納めとなったぜ。
5.構造時ミュータウン
ラストに紹介するのは、構造時ミュータウンだ。
これは高齢化に苦しむ愛知県のミュータウンの話だぜ。
また名古屋の近くのミュータウンね。
さっきのやつとは違うの?
そう、ここはさっきの東海大ミュータウンとは別で、
1968年、名古屋市の北東に位置する春日石に作られたミュータウンだ。
ここは特に高齢化が顕著で、今大変なことになっているようなんだ。
言うて、そんなの日本のどこでも起きているじゃない。
そんな程度じゃ済まないんだぜ。
ひ。まずはこのミュータウンの概要から見ていこう。
構造時ミュータウンは千里ミュータウンや多摩ミュータウンと並び、
日本でも最初期に作られたミュータウンだ。
最古のミュータウンとか、何かの冗談みたいね。
実際、ここを含め高齢化が問題視されているミュータウンは、
オールドミュータウンとやゆされることもある。
で、この構造時ミュータウンは名古屋市などの別途タウンとして開発されたのが最初で、
計画が持ち上がったのは1960年代だった。
ここにあった航空自衛隊の構造時ブントン基地が他の場所へ移転する計画があったため、
その跡地が利用できる、というのもミュータウン計画の前提の一つだった。
ふむふむ。自衛隊の基地とか、面積は広そうだもんね。
しかし、ここで問題が起こる。
ほう、その基地の移転先で反対運動が起こり、結局移転計画はとんざしてしまったんだ。
え?
しかしミュータウン計画を廃止にするのも不可能だったためか、
無くなるはずだった基地を抱え込む形で、ミュータウン計画は進められていったぜ。
最初からグダってるけど大丈夫?
まあそれでも1968年には無事第一次入居が始まり、
1971年にはここに日本初のコンビニエンスストアであるココストアが開店している。
え?
日本初のコンビニって、東京のセブンイレブンって話じゃなかった?
ほら、最初に売れたものがサングラスとかよく聞くじゃない?
実は日本初のコンビニがどこか、ということに関しては諸説あってな。
一応霊夢の言ったセブンイレブンの1号店、セブンイレブン豊洲店は1974年の出店だが、
こちらのココストア藤山大店に関しては1971年と少し古い。
ともかく、この構造時ミュータウンは、
1995年に人口のピーク、5万2千人余りを達成するがそこからは減少に転じ始めた。
もはや日本あるある、少子高齢かね。
しかし先ほども言ったように、これは日本全体の水準よりもヤバイ高齢化だ。
それはヤバイ。
5万2千人いた人口も、2015年頃にはおよそ4万4千人にまで減ってしまった。
段階の世代が一挙に定年退職を迎える頃だったから、
彼らの何割かは転挙でこの町を去ったようだな。
え?長年住み慣れた町を何で仕事を辞めたからって離れるの?むしろ出て行く方が大変じゃない?
この構造地ニュータウンに関しては、実は住み続ける方が大変という事情がある。
それが坂が多いという問題なんだぜ。
そ、そういうことか。
まあ彼ら自身が町に残ったとしてもその子供たちは出て行ってしまう、という例は多い。
この構造地ニュータウンは丘陵地帯に作られており、そのため坂が多く、
日常の買い物などにも高齢者にとっては不便な場面が多いんだ。
そのため転居していく人が後を絶たない、というわけだな。
町を作る時にそこまで考えなかったのかしらね。
また交通の便もいいとは言えず、最寄り駅の構造地駅から構造地ニュータウンの中心部に行くには、
2kmの道のりを進まなくてはならない。
しかも途中で大きな上り坂もあるぜ。
町を作る時にそこまで以下略。
ここの高齢化率は30%となり、これは千里ニュータウンとほぼ同じで、
日本のニュータウンの中ではトップを誇るぜ。
特に平日昼間なんかは出歩いているのはほぼ老人だけで空き物件も多い。
いやもうこれ、滅びの道まったなしじゃない?
しかしこの現状をなんとか改善しようと、
2016年よりリニュータウン計画がスタートしたんだ。
えっと、それはどういう?
これは構造地ニュータウンが将来にわたって、持続可能な町であり続けるよう策定された計画で、
廃校になった小学校の校舎をリノベーションして文化交流施設を作ったり、
駅周辺の再整備、さらにはお年寄りの足となる自動走行車の実証実験などを行っているんだぜ。
高齢化にも負けず、町の存続を目指して創意工夫するなんて素晴らしいわね。
まあその効果が出てくるのは、まだまだ先のことだろうけどな。
というわけで今回は、失敗した日本の限界ニュータウン五線について解説してきたぞ。
いろんな圧力に流されず、リアルな数値の見積もりを出すのがどんなビジネスでも大事よね。
私もガバガバ予算で生活しないように気を付けるわ。
というわけでリアルに家計を見直した結果、明日から食事は一食あたりお米24粒よ。
人生そのものがギリギリだな。
というわけで、今日の動画はここまで。
動画が面白かったら、高評価とチャンネル登録よろしくお願いします。
最後までご視聴いただきありがとうございました。
