未掲載なぜ日本はスパイ天国なのか 統一教会とスパイ防止法【時代の選択】

大紀元 エポックタイムズ・ジャパン
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340 回視聴·2025/09/19
どうして日本にはスパイ防止法がないのだろうか? 戦後から1990年代まで、日本共産党や中核派や革マル、赤軍派などといった新左翼と呼ばれる共産主義勢力が様々な暴力事件を起こしていた。こうした状況に深い懸念を抱いた保守層や公安をはじめとする治安当局は、スパイ防止法の必要性を繰り返し訴えるようになった。この運動を強力に推進したのが、国際勝共連合(以下、勝共連合)だった。
旧統一教会は政府とともに、スパイ防止法によって共産主義勢力の暴虐を根絶しようとしていた。ところが安倍元首相暗殺後、数十年前の霊感商法被害がメディアに再び取り上げられ、教団への攻撃が強まった。そして現在、日本政府は、そうした偏ったメディア世論を背景に教団へ解散命令を出している。
スパイ天国と言われて久しい日本。
1982年、ソ連の情報機関のKGBの少佐、スタニスラフ・レフチェンコが、
米会員の委員会で日本で行っていたスパイ工作を暴露しました。
暴露した内容は驚愕するもので、
日本の大手新聞社の幹部や学者、政治家なども協力者だったことが暴露され、
日本社会に大きな衝撃を与えました。
この頃から、日本はスパイ天国という不名誉な称号を付けられることになったのです。
こんにちは。時代の選択にようこそ。大道治です。
スパイ防止法とは、外国のスパイ活動から国を守るための法律です。
この法律がないと、国家機密や先端技術が国外へ流出しても摘発が難しく、
また同盟国から情報漏洩に不安があるとみなされ、重要な情報の共有を避けられたり、
また外国からの世論操作や政治工作も防ぎにくいといった問題が発生することが指摘されています。
G7の国々では、おかしたスパイに課される最高刑もアメリカでは死刑であるほか、
イギリスも無期懲役など最高の刑を課しており、
各国のスパイ罪に対する姿勢は絶対的なものであるといえます。
これほど重要な法律であるにもかかわらず、スパイ防止法がないのは日本だけなのです。
どうして日本にはスパイ防止法がないのでしょうか。
今回は日本でスパイ防止法がなぜ成立しないのか、
スパイ防止法の成立への運動と、それがどうして潰されてきたのかを見ながら皆さんと考えていきたいと思います。
日本社会の軍国主義、全体主義的要素を徹底的に排除し、言論、思想、結社の自由を保障することを最優先課題としていたのです。
しかしスパイ罪が廃止されてから、共産主義勢力が急速に冒頭化し、
日本共産党も1950年、武力闘争路線を叫び、大規模な労働葬儀があちこちで行われました。
社会は混乱し、スイタ事件、白鳥事件といった警官が殺害される痛ましい事件も発生した。
日本とGHQは日本の急激な共産化を警戒し、党員や新パオ政府、民間企業、新聞、放送局から大量に追放しました。
共産党のこうした非合法な活動は国民から批判を受け、1952年衆院選で日本共産党は全議席を失いました。
その後、日本共産党による武力闘争路線は沈静化しましたが、1960年の安保闘争を経て、1970年代にかけては中核派、核丸派、赤軍派、日本赤軍といったいわゆる審査役と呼ばれる過激派が台頭し、テロや数々の暴力事件を引き起こしました。
特に三菱重工爆破事件では8名が犠牲となり、社会に大きな衝撃を与えました。
こうした状況に深い懸念を抱いた保守層や公安をはじめとする治安当局は、スパイ防止法の必要性を繰り返し訴えるようになりました。
そして、この運動を強力に推進したのが国際商協連合でした。
商協連合は、世界平和統一家庭連合、旧統一協会の創設者である文宣明氏が、日韓両国で共産主義の脅威に対抗することを目的に、1968年に設立した反共政治団体です。
警察関係者や保守系の政治家は、共通の敵である共産主義との戦いにおいて商協連合と協力関係を築きました。
戦後の長きにわたり、自民党の一部議員や警察OBは商協連合の活動を高く評価していました。
1978年4月3日、自民党の福田武雄首相は参議院予算委員会で次のように述べ、自民党と国際商協連合が協力関係にあることを公に認めています。
私も商協連合というのは承知しておりますが、この共産主義反対という点ですね、これなんかにつきましては私どもと同じような考え方を持っておる。
そういう意味合いにおきましては、私は自由民主党の長老であろうが中堅であろうが若手であろうが、
どなたであろうとも、それはその思いを同じするという、そういう点について意見を述べるということについては、私は別に何のことはないと思います。
商協連合が反共を旗印にしておる、そういう点に着目いたしまして、自由民主党と商協連合が協力的側面を持っておったということは、これはご理解願えると思うんです。
こうして旧統一協会の信者たちが実動部隊となり、大規模なスパイ防止法制定運動を展開。
1979年にはスパイ防止法制定促進国民会議を、さらに1984年には岸信介元首相を会長とする超党派の議員懇談会を設立するなど、
政財界や学術界の有力者を巻き込みながら、全国的な運動を組織しました。
自民党議員と統一協会の関係が深かったのは、このスパイ防止法をはじめとする、戦後からずっと日本の安全を脅かしてきた共産主義へ対抗してきた部分が大きいといえます。
神の存在を否定する無神論を標榜する共産主義の蔓延を、何らかの神を信仰する多くの宗教団体は認めていません。
このように多くの関係者や団体が推進したスパイ防止法ですが、結局は制定されませんでした。なぜでしょうか。
最大の理由は国民からの反対の声が大きかったとされています。
しかし、政府が言う国民の声とは、実際にはメディアの調査や報道に大きく依存しています。
スパイ防止法について言えば、メディアの報道姿勢が政策の方向性を大きく左右していました。
スパイ防止法が提起されるたびに、メディアは個人の自由が侵害されるという点ばかりを強調し、逆にスパイ防止法が存在しないことによるデメリットについては一切報じてきていませんでした。
メディアはスパイ防止法について、「思想や言論の自由を侵害するのではないか?」と強く批判しました。
特にスパイ活動の定義が曖昧であるため、時の政府が反対性的な活動をスパイ行為として取り締まり、治安維持法のような役割を果たすのではないかと警鐘を鳴らしました。
こうした懸念から、法案は国会で繰り返し審議されましたが、最終的に成立にはいたりませんでした。
旧統一協会は政府とともにスパイ防止法によって共産主義勢力の暴虐を根絶しようとしていました。
ところが安倍元首相暗殺後、数十年前の霊感消防被害がメディアに再び取り上げられ、共団への攻撃が強まりました。
そして現在、日本政府はそうした偏ったメディア世論を背景に、共団へ解散命令を出しています。
これはメディアが政府を通じてスパイ防止法の成立を求める国民の声を覆い隠そうとしているのではないでしょうか。
そしてそのメディアの背後には、世論の流れを方向付け、政策決定に影響を与えようとする存在が見え隠れしているようにも感じられます。
特に安倍首相暗殺の際に、大手メディアが一斉に同じ見出しを出したことは、大きな物議を醸しました。
日本政府が共団に解散命令を出すに至ったことは、こうした力関係の中での動きと捉えることもできます。
