『九評共産党』【第七評】中国共産党の殺人の歴史

新唐人テレビ NTD Japan
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248 回視聴·2023/05/03

序文
中国共産党政権の成立から55年間の歴史は、血と嘘で記された歴史である。その流血の裏にある事実は、残酷非道であるばかりでなく、ほとんど世間に知られてない。中国人の6千万ないし8千万もの罪のない人々の命が犠牲となり、更に多くの家庭が迫害された。今日でも、多くの人たちが依然として、なぜ中共は人を殺す必要があるのかと考えている。今日でも中共は相変わらず、法輪功学習者を虐殺しており、更に2004年11月初旬に至っては、漢源で抗議する民衆に対して発砲し制圧した、その時も多くの人たちが思ったことは、いつ中共が虐殺を止め、対話することを学び、銃を用いるのではなく話し合いをするかということである。

毛沢東が「文化大革命」を総括したとき、「国内が大いに乱れ、そして泰平の世となった、七、八年後にまた同じようなことになるであろう」と述べた。はっきりと言うならば、つまり七、八年ごとに政治運動を行い、七、八年ごとに、再度大量の人たちを殺すことと言える。

共産党のこのような殺人には理論的根拠があり、現実に必要なことなのである。理論から言うと、共産党が「プロレタリア独裁」と「プロレタリア独裁の基での継続革命」を信じ、政権を打ち立ててから、「地主を殺す」という方法で、農村の生産秩序を解決し、「ブルジョアを殺す」ことで、商工業の改革をなし遂げ、都市の生産秩序を解決する。この二つの階級を抹殺してから、経済における基礎的問題をほぼ解決した。イデオロギーの問題も殺人によって解決しなければならない。その中に、「胡風の反党集団」を絶滅させることと「反右」を含み、それをもって、知識人たちを粛清する目的を達成する。「民間信仰団体及び結社」を殺すことで、宗教問題を解決する。「文革の人殺し」は文化及び政治に関する党の絶対的な指導権問題を解決するためである。「天安門事件」の殺人は民主化を求める問題を解決するためであり、政治危機から逃れる為である。「法輪功を迫害する」ことは、信仰及び健康増進運動等々の問題を解決するためである。

このすべては、みな中共がその地位を強化し、その統治を維持する過程で、絶えず、経済危機(政権を打ち立ててから、物価が高騰し、文革後の経済が崩壊する寸前に)、政治危機(一部分の人たちが党に服従せず、一部分の人たちが党と政治権利を奪い合う)、信仰危機(旧ソ連の解体及び東欧激変事件、法輪功事件)を解決するうえで起った、必然的な反応である。法輪功事件以外の、前述したすべての政治運動は、中共悪霊への充電であり、革命意欲を掻き立てる過程は、即ち党の組織に対する検査で、全ての党の要求に符合していない党員は、一切淘汰されてしまう。

それとともに、共産党の殺人は現実に必要でもある。共産党は立党当時から、無頼漢やならず者が、人を殺し、作り上げたものである。人殺しを既に始めたので、絶対に途中止まることなく、しかも絶えず恐怖を作り上げ、人民を恐怖の中におき、人民は党が強硬すぎるため、頭を下げ言いなりになるという現実を認めざるをえない。

表面的に、多くの事例は、中共が「受身の立場の殺人」のようで、社会に偶然の事件が起り、偶然に中共の悪霊及びその中共の組織的殺人メカニズムに触れたようであるが、実は、「偶発」の裏に隠れている周期的な殺人は、中共にとっては、必然なことである。そうでなければ、喉元過ぎれば熱さを忘れることになり、二年間ほど殺人をしないと、人々は中共が既に改善されたという錯覚に陥ってしまい、甚だしい事例としては、89年(天安門事件)民主運動の理想青年と同様、民主化を性急に求めることになりかねない。

七、八年ごとに一度大量殺人をすれば、人々に恐怖感への記憶を絶えず刷新することができる。成長したばかりの若者たちに警告し、共産党に反対し、中共の絶対指導権に挑戦しようとする人たちや、歴史の本来の面目を回復しようと図る人たちに、「プロレタリア独裁の強烈な打撃」を食わすに違いない。この点から見ると、殺人とは、中共が統治を維持するための最も必要な手段の一つである。血の債務がますます多くなる状況の下で、屠殺用の刃物を捨てると、自分自身を民衆に渡して清算されることになる。それゆえ、中共の人殺しは、大量に殺戮して、死体を至る所に放置するばかりでなく、しかも、その手段はとても残虐で、特に、政権を打ち立てたばかりの時期には、そうしなければ、民衆を震え上がらせることができなかった。

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