【ゆっくり解説】鎌倉幕府が恐れた男!!日蓮の謎!!

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
ゆっっくり霊夢とゆっっくり魔理沙だぜ
今回紹介するのは鎌倉時代に蒙古集らを
予言した日連についてだ日連っていうと日
練習だっけそこのお坊さんああ現在では
最大級の仏教周波の1つ日練習の回そだぜ
日連が日連集を回収した経緯やその後に
振りかかる様々な苦難そして他宗波との
バトルや蒙古集らの予言など彼の人生を
振り返りながら解説していくぜよろしく
それじゃあゆっっくりしていってねは
1222年現在の千葉県阿の国の漁村で
誕生している親は漁師といえど魚民を
束ねるような立場にあったと考えられて
いるぜ漁師さんは漁師さんでもちょっと
偉い人だったんだねそうなんだおかげで
12歳の時には同じ地域にある天大州の
成長時で初島教育を受けることができたぜ
普通の漁師の家だったら受けることはでき
なかっただろうななお神憑性にかける話だ
が言葉条項の娯楽員だって説もあるぞそっ
か誰でも弁教できる時代じゃなかったんだ
もんね成長時で読み書きや仏教の主要に
励む日々を送っていた日連だったが彼の中
で仏教に対する疑問が生まれそれは仏教に
ついて学べば学ぶほど大きくなっていった
疑問って自分が生まれる前年に起きた上級
の乱で長底は信言密教の気筒を用いたのに
なぜ負けたんだろうどうして同じ仏教なの
に周波が乱立していてしかも仏教同士で
争っているんだろうってな頂は負けたけど
戦った相手も祈としたんだだろしあと
そんなにたくさん周波があるんだっけああ
あるんだぜ簡単にだが仏教の周波を紹介し
ておこうまずは奈時代に始まるなら仏教に
はケゴ集や立集発送集などがある平安仏教
には天台集や信言集鎌倉仏教には念仏を
唱える上土系の周波上土臭や上土新州座禅
を組む全集系の臨在集などだぜふむふむ
色々あるんだね中でも鎌倉仏教は念仏や
大目座禅などの簡単な方法で救われるとと
解いているんだとても入りやすいから鎌倉
仏教は庶民の間で爆発的に普及したそうだ
ぜ私がこれを1日1粒飲めば痩せますって
いうお薬に飛びつくのと同じだね同じと
言っていいのかわからないがまあ大体そう
だなさて日連の疑問に戻ろう仏の教えは1
つなはずなのにこれだけの宗派が存在して
いるのはなぜかその答えを知るため自分
より偉いお坊さんに聞いたが答えはなかっ
たならばと自分で答えを出すべくこれらき
の周波を猛進せずに自らの道を模索を始め
たぜ勉強熱心なのはいいことだわ16歳の
時に出家すると今度は学習派の競技を知る
ため非山遠慮時や恩情寺荒野さんなどに
通ったぜそれから10数年に渡り学習派に
ついて学び仏典を読み漁った日連はある1
つの答えにたどり着いた補教こそが唯一で
真の教えなんだってな補教って何だっけ
ウグイスの鳴き声カタカナで書からそう
見えるだけだ補教ははユーラシア大陸中央
から東部で進行される仏教の拠点の1つだ
ぜ拠点にも色々種類があって周波によって
使用する点が違うぞ例えば臨在集は繁華
診療など上土集は無料受教など複数の拠点
を使用する周波が多いななるほどそれぞれ
内容が違うってことよねああ補鏡の内容は
というと誰もが平等に仏の心を持てて平等
に成仏できるというもの日連はその補鏡に
命を捧げることを意味する南明法連下鏡を
えることで救われると信じたそして他の
宗派は誤っていて補教こそ仏教最大の教え
だという考えにたどり着いたぜこれが日
練習の始まりだなどれが正解なのかは知ら
ないけど他は間違ってるって言えちゃうの
はすごい自信だねでも他の宗派は補教を
使ってないの天台州でも補教を使用しては
いるぞ彼らは南明法華教と同時に南ア仏と
いった念仏を唱えていたそうだちなみにだ
が念仏は仏様の名前を唱えることでナ物
なら網如来の名前を唱えているぜ一方の
南明法蓮教は大目と呼ばれているものだ
ふむふむ日連が子供の頃から世話になって
いた成長寺も天台集なんだだから念仏も
唱えていたが彼は南明法蓮教だけを唱える
べきだと主張したぞその上念仏は補教を
誹謗することで仏教で1番思い方NGを
犯しているとも主張をしたんだそんなこと
言い始めたらどうなるかは分かるよなうん
宗教戦争が起きちゃうわよ戦争とまでは
ないが争いは起きたぜ特に念仏を進行して
いた地元の自党から激しく怒りを買い身の
危険を感じることになったこうなったら
もうここにはいられない長年お世話になっ
た成長時を去ることに決めたぞなんか
危なっかしい性格みたいだけどお寺を出て
次に行く場所ではうまくやっていけるの
かしら向かう場所にもよるかもだけどどこ
行くの1253年成長時を離れた31歳の
日連が向かった場所は幕府があった鎌倉だ
なんで鎌倉なの仏教と言ったら京都とかな
気がするんだけどそんなこともないぜ当時
の鎌倉は信言州や天台集臨在集や上土集
など幕府の庇護を受ける学習派のお寺が
立ち並んでいたぞ幕府は仏教を庇護してい
たのああ仏教を通じて中国と攻撃し様々な
大陸の品を輸入することで武器文化が発展
していたからな鎌倉は仏教都市と呼べる
ほど仏教との繋がりが強かったんだだっ
たらなおさら前みたいに他のやり方にケチ
つけたらまたもめちゃのは分かってるよね
分かってただろうが鎌倉でもやめなかった
ぜ念仏なんて唱えても誰も救われない補教
こそが唯一の仏の教えなんだってな日連は
自らが信じる補教を解きながら他の周波の
批判を続けたんだあらら避難合合だったん
じゃないああお坊さんはもちろん他宗派の
信者から罵声を浴びせられ石を投げられる
ようなこともあったようだ庶民の間でも
仏教が広まっていたんだから石の数も
多かったでしょうね私だったら石を
投げつけられたら速攻で諦めちゃうけどね
きっと私もだが日連は自分は間違ってい
ないと確信していたようだというのも当時
の鎌倉は様々な災害に見舞われていた
1254年に大火災が起きて2年後には
洪水が発生翌年には大地震が起きると鎌倉
にあった寺院は崩壊するなど大災害が
立て続けに起きていたんだそれもこれも
国民が間違った仏教を信じているからだ
災難を食い止めるには補教を広めるしか
ないと強く信じていたからだぜすごい自信
だわだが自分1人がそうといたところで何
も変わらないだから異性者の考えを変える
べきだと考え1260年に幕府の全失権放
上時より当てに書物を書いて送ったこれ
また大胆な行動に打って出たわね立証暗黒
論と題された書物は日連を主人に時よりを
人に見立て客が尋ねた天辺チーの原因を
主人が答えるという問答形式にして自分の
考えを記しているんだその考えはさっき
から話している通り天辺地の原因は国や
国民が誤った仏教を信じているせい今すぐ
念仏信行なんてやめさせ補教に基づいた
政治を行わなければ世の中は良くならない
というかそれに気づかないなんて幕府は鞭
だとまで言っているぜ無って本当に
危なっかしい性格だわそしてこのままでは
次回本楽なんと他国親筆なんが起きると
予言し警告している簡単に言ってしまえば
物批判と幕府批判が書かれているぜまた
人波ありそうなないだけどそれより難しい
言葉でなんかを予言してたわねそれが現行
の予言だったのその通りだぜ次回本来なん
というのは国内で起こる争いつまりは内乱
のことだそして他国親筆なが他国からの
侵略後に起きる現行を予言していたとされ
ているぜ内乱も予言してたのでもそんな
こといきなり言われて信じるかしらでは
これを受けて時よりはそして幕府がどの
ような対応をしたのかというと無視だ
やっぱりね日連の発想は法思想から来て
いるものだ末法思想は仏の教えが廃れて
しまった時代を指し末法が続くことで災難
が続くと考えられていたぜ1052年に
末法に入ったと信じられているからこの時
もまだ末法なんだろうとはいえ他の仏教が
誤ってるから補教だけを信じろなんて言わ
れてもそれは無茶な話時よりは前週の信者
だから補教への消えはありえないしそれは
鎌倉に大勢いる武も同様だ補教だけを進行
しろという日連の言うことに耳をかさ
なかったぜお互いに自分が信じているもの
が間違っているなんて普通は認めないもん
ね自分の主張を無視された日連だったが
めげることなく他の周波への批判と補強を
解き続けたぜ日連は便が立ったようで彼の
言葉に耳を貸す人たちも多くいて幕府の
反応とは逆に指示者が増えていっただが
一方で彼に対する反発も大きくなっていっ
たぞ批判してれば普通はそうだろうしここ
まで事件が起きてないのが不思議なくらい
だわそれが起きてしまうんだぜ日連が立証
暗国論を時よりに送った同じ年の夏の夜
念仏派の上土州の信者から襲撃を受けたん
だこの時は襲撃から免れたものの次いつ
襲われるかわからない日連は鎌倉を離れ
再び千葉へと不教活動の拠点を移したぜ
いや千葉は千葉で身の危険を感じていた
わけだし危ない気がするんだけど千葉では
何事もなかったようだなあくまでこの時は
だがってことは後で何か起きちゃうんだね
その後およそ1年間は千葉で補鏡を解いて
いた日連だったが1261年には鎌倉へ
戻ったぜところが待ち構えていたかのよう
に幕府は日連を捉えて伊野伊東への罪を
言い渡したんだいきなりの展開だけど何の
罪で幕府も正式な調査を行っていないよう
だしその辺は定かではないなだが日連が
ルザになった翌年に時よりは信言立中の
栄村というお坊さんを鎌倉に招いているん
だだからその前に鎌倉に帰ってきてしまっ
た日連を追放する必要があったのかもしれ
ないなせっかくお招きしたのにうるさくさ
れたら困っちゃうもんねいずに流された
日連は補鏡を解くのをやめず念仏信者を
消えさせるなどして信者を増やしているぜ
ルザを方面されたのは2年後のことどう
やら時よが許しを与えたようで鎌倉に帰っ
てくることができたぞもう用が済んだから
帰ってきていいよって感じかな幕府から
方面されたとはいえ彼に対する多種派から
の避難は病んだわけではなかった1264
年に母の看病のために故郷に帰った際にも
以前怒らせてしまった自党から襲撃を受け
ているぜ後で起きちゃうって言ってたのが
もう来たこの時に頭に傷を受けたり手を
骨折するなどの怪我で済んで命に別状は
なかったものの弟子は何人かなくなって
しまっているぜあららかわいそうにっって
いうかここまでいいことなくない補鏡に
目覚めてから悪いこと続きな気がするから
今からでも他に乗り換えた方がいいんじゃ
ところがだここに来てようやく日連の信仰
が正しかったと証明される日が近づいてい
たんだぜもしかしてああ日連が立証暗黒論
で予言した外国の侵略が現実身を帯びてき
たんだ1268年に九州の打布に蒙古から
国書が届いたその内容はというと日本との
通行関係を求めながらも武力を用いること
をほのめかすものだったつまりは脅しだね
自分の予言が正しかったことをそして補鏡
をに広める絶好のチャンスだそこで日連は
失権の法条時宗や幕府の用人さらに鎌倉
仏教会の主要なに手紙を出して大の場での
多派との対決を要求したぜまたまた大胆な
手を打ってきたわねで受け取った人はどう
したの時宗は日連の手紙も蒙古の国書も
無視したぜむしろ日連に至っては幕府の
政策に反する危険集団と見なし弾圧を検討
したくらいだあらら逆効果だったのかだが
庶民や一部の武士たちは違った反応を見せ
たぜ予言が実現することが分かると不安を
覚え日連に救いを求めるべく次々と信者に
ななっていったからな幕府としては予言が
当たりつつあることよりも日連の信者が
増えていくことを恐れたかもしれないそう
だね日連に賛同して幕府批判する人が増え
たら氾濫が起きる可能性もあるわけだし
だったらあまり増えすぎちゃうとまた
捕まっちゃうんじゃないよくわかったな
再び日連はルザを言い渡されてしまったぜ
ただし嘘の密告を受けてだけどなもしかし
て日連を適しする他の周波の人がその通り
だ1271年のことひりが続いていたせい
で鎌倉は大伐に見舞われていたんだただ雨
が降るのを待つわけにはいかない幕府は
雨声の気筒を極楽寺の住職認証に依頼した
ぞ認証は関東における信言立中の中心人物
であり道路や橋の建設などの事業を行って
いた人物だ幕府から多大な信頼を寄せられ
ていたんだろうぜ日連からすると間違った
仏教を広める中心人物つまりはライバルだ
ねなんとしてでもキフて言わせてやりた
いって思ったでしょうねああ強く思った
ようだ雨声の依頼がされたのを知った日連
は認証に対しこのような挑戦的な発言をし
たもし雨が降ったら私が認証の弟子に
なろうただし振らなかったらお前が私の
弟子になれってな強気に出たわでどっちが
勝ったの認証は日連の挑発に乗らなかった
が残念なことに雨も降らなかったぜ
もちろん日連は認証になぜ雨が降らなかっ
たのに弟にならないんだとかやはり念仏派
は正しくないなどと攻撃を仕掛けたこと
だろうな言われた方はぐぬってなっちゃう
わねってそんなこと言うから三国をああ
認証は悔しがるだけでは済まさなかった
認証をはめとする反日連の人々が幕府に
こんな告発をしたんだ日連の奴らが武装
しろを組んで幕府の転覆を企んでい
るってな普段から幕府を批判してるし信者
も増えたことだしそんなこと言われたら
信じちゃうわよねすぐに幕府から召喚され
た日連は刑事裁判を管轄する侍どころの平
のより綱から尋問を受け逮捕されたぜこの
時日連はより綱にこう言ったそうだ私を
失うのは国の柱を倒すようなもの国は
滅びるぞちょっと怖いくらいの自信だわだ
がその声も虚しく日連にはサへのルザが
言い渡されたと言われてもどれほど思いば
か分からないだろうがサに流されるのは
日本の敵と認定された重罪人だぜ日連は
よほど幕府から適しされていたんだろうな
それでも処刑されちゃうよりはいいんじゃ
ない生きていればワンチャンあるかもだし
そのワンチャンも潰してやるそう考えてい
たのは尋問し逮捕したよりつだ彼はルザで
はなく日連を斬死するつもりでいたぜ他の
周波の人からなら逃げようがあったけど
幕府の役人に命を狙われたらさすがに逃げ
られないわねああ絶対絶命のピンチだよな
日連は鎌倉中を引き回しにされタの口の
形状へ連行されたぜこの時には自分は無罪
ではなく処刑されるのだと日連も悟った
だろうってもしかしてここで解説が終わっ
ちゃういやついに斬されという時奇跡が
起きた謎の強烈な光が刺すと立ちを手にし
ていた武は目がくみ場は混乱してしまった
そしてそのまま処刑は中止になったんだぞ
何それ何の光だったのもしかして補教を
信じたおかげの何か隕石か水星かオーロラ
かと考えられているぜちょうど処刑の瞬間
に現れて日連が救われるなんて奇跡以外
ないよなと言いつつも正直この話は怪しい
けどなえなんでじゃなきゃ中止にならない
でしょちょうどこの時失権と木の奥さんが
妊娠中だったんだそんな時にお坊さんの首
を跳ねるのは演技が悪いということで日連
は系を免れたって話があるぜああなるほど
そっちの方が理由として納得かもま理由は
ともあれ日連は斬死されずに当初の予定
通りサに流されることになったぞサでは墓
のあの腹に立てられた小屋を当てれたなん
と言っても小屋がボロく冬には雪が
吹き込むほど食料は最初の1年は与えられ
たがそれ以降はなしこのように日連は
かなり厳しい環境で生活をするはめになっ
たぜいずに流された時は2年で帰ってこれ
たっけさもそれくらいで返してもらえれば
いいんだけどねここで日連は開目症という
書物の執筆を始めているサに流されてから
書き始めたのにはこんな理由があるんだ
弟子たちもサに同行してきたのだが彼らは
ある疑問を抱き始めていた補教が仏の唯一
で最大の教えだというのになぜそれを
信じる日連は迫害を受けているのだろうっ
てな確かにそうだわ他の周波の人から攻撃
されて殺されかけたり2度も捕まって
島流しにされたりしてるしとてもじゃない
けど仏様の加護を受けてるとは思えない
もんこの人の弟子になったのは失敗じゃ
ないかって思うのは当然だと思うその疑問
の答えは日連が信じる補教の中にあったぞ
補教に補教を強すると迫害されるという
記述があるんだその通りで不興した結果
自分も迫害されているつまり今の自分が
置かれた状況は当たり前のことむしろ自分
こそが補教を広めるためにこの世に使わさ
れた選ばれし行者だと確信するに至ったん
だどんだけ前向きなのさらに日連の進行を
後押しするかのように開目賞が完成した時
に鎌倉と京都で内乱が発生したぜ北条胸の
兄で六原大の職についていた時が無本を
起こした2月騒動だ事件は時宗が時を育成
することで終わったが日連の予言が現実に
なったのは間違いないぜ蒙古が来ることは
私も知ってるし2つの言が実現するってこ
だねでもとりあえずは今の過酷な状況を何
とかしないとじゃないご飯だってまともに
食べれないんでしょそうだなサにいる間
厳しい環境に何度も命を落としそうになっ
てるしなだが地元の多種派のお坊さんから
論争を挑まれた際ロパできたおかげで信者
が増えていたんだ彼から移植獣の寄付を
受けたから流されてきた時に比べれば
まともな生活が遅れるようになっていたぜ
なんだそうだったんだ口が達しで良かった
わねでもずっとサにいないといけないの
いや執行されてから2年と5ヶ月経った
1274年には時宗によって方面され鎌倉
に戻ったぜ1274年というと最初の蒙古
集合分営の駅が起きる年だからちょうど
良かったよな自分の予言が当たったって
鎌倉で言えるもんね補鏡だから当てたんだ
お前ら他の周波は予言できなかっただろと
かでもまたあんまり言うとまた捕まっ
ちゃうかしらいや今回ばかりは幕府は日連
に恵をさろとしたようだそうなのってこと
は日連の予言が認められたってことかしら
蒙古から最後通帳を受け取った幕府は平ら
のより綱に日連と会見するよう命じている
より綱はさに流される前に日連を捕まえ
処刑しようとした武士だぞ私がよりつな
さんだったらどう接していいのか分から
なくてかなり気まずい空気が流れそうで
知恵って何を聞きたいのもこ襲撃を予言し
ていた日連に襲撃がいつなのか聞くつもり
だぜ質問に対し日連は今年中に必ず来ると
だけ答えたぜ具体的な日取りを聞きたかっ
たけど年内だったら急いで兵を配置しない
と安心しろ幕府は何年も前から打布にご
家人を派遣するなどして準備を進めていた
ぜ実際に刀を構えて戦う武も重要だがこの
当時同じくらい重要視されていたのは気筒
だだからより綱は日連に対し蒙古長服の
気筒を命じたぜここは受けた方がいい
でしょだって補鏡の力を見せつける
チャンスなんだし確かにそうだが日連は
多数派の進行を止め補教だけを進行すれば
気動すると条件を出したぜ前にも書物で
日連が訴えた他の周波を否定しろ補教だけ
を進行しろと言っていたのと同じことだ
ならば今回も答えは同じでそのような条件
は余りにしても幕府にしても飲めるはずが
ない日連への気筒の依頼は諦めていつもの
ようにあらゆる周波に気筒を命じたぜま
そうなるでしょうねここまで行ってきた旅
重なる幕府への訴えが通らず日連は幕府へ
の働きかけは無駄だと察したのだろう鎌倉
を去ると現在の山梨県界の国にあるミノ
さんに拠点を移したぜなおこの地に立てた
寺が日連集の総本山になるぞふむふむ日連
がミノさに移った後ついに蒙古が日本を
集落した分営の駅の始まりだ約3万物蒙古
平月島都駅の島に上陸し日本の武士たちが
命をかけて戦っただが圧倒的な兵力差も
あり日本は苦しい戦いを強いられかなりの
を受けてしまったぜ気筒も役に立たなかっ
たのかしらああ今回の結果を受けて日連も
同じように考えたようだ補鏡以外の周波が
当したのでは効果はなくむしバが当たった
のだ他宗派の寺や大仏は焼き払いお坊さん
を処刑せよとまで言っているぞそして
何よりこのままでは日本は滅亡すると言い
始めたんだえ何その予言私が知ってる限り
日本は滅亡してないけどその予言が的中し
たかどうかはとりあえず置いといて2度目
の来までの間日連は不教活動と弟子たちの
育成に励んだ結果信者は拡大したのだが中
でも天台週のお坊さんや信者が回収し
始めると天台集と日連集との間に争いが
始まってしまった海を渡って敵が来る時代
なんだから同じ仏教同士でやり合ってる
場合じゃないと思うんだけどなそれもそう
だが彼らも自分らが信じる教えを守るため
に必死なんだろうぜとはいえ天台集と日連
集とでは戦いにならないけどな天台集は
法条家との結びつきがあるから幕府という
強大な後ろたてがあるからなうんだったら
勝てないわね日連の信者だった農民20名
が武に囚われ鎌倉に連行される事件も起き
ているなお彼らを尋問したのは三たの登場
となる平らのよりつだぜちょいちょい登場
してくるわねより綱は激しい取り調べを
行ったそうだが信者たちは屈せず進行を
貫いたそうだこれを知った日連は自分の
障害の目的を遂げたと話したそうだぜ自分
を信じた人がが苦しい目にあってるのに
なんでそうなるのかは理解できないわね
その後も天台集と幕府による迫害は続いた
ようだがそんな中2度目の蒙古従来公案の
駅が訪れるぞ2回戦目が始まっちゃうんだ
ね1281年に再び津島と行への攻撃を
開始した蒙古は博多湾に到着すると上陸
作戦を開始したぞ日本の武士たちは全力で
戦い侵略を妨げたそして何より台風の直撃
があったおかげでもこの撃退に成功したん
だやったわねさて他国からの侵略の予言は
当てた日連だったが結果は思わぬものだっ
ただろう最初の現行では多集派について
散々文句を言えたが今回の襲撃は見事気筒
が成功してしまったからな当時気筒を行っ
た自社はこぞって当のおかげで日本は救わ
れたのだと小高に叫んだことだろう
もちろん幕府は学習派に莫大な音象を与え
たそうだぜ音象私も巫女として参加し
たかったわ一方で日本が滅びるとまで行っ
いた日連の心情はいかがなものだったか
記録によればかなり困惑していたそうだぜ
これまで自信満々だったけどへこんじゃっ
たかなああ2度とこの時の気持ちを
思い出したくなかったのかもしれない日連
は弟子に対してもこ従来の話はするなと
厳しく指示したそうだその後公案の駅の
翌年の1282年以前から患っていた胃腸
系の病気が悪化しこの世去っている61歳
だったぜ話を聞いてる限りでは救いのない
迫害ばかり受けたくなんの人生を歩んでい
たわね補教的にはそれでOKみたいだった
けどでも一部だけでも予言が当たって
良かったじゃないまあ予言ではなかった
可能性があるんだがなえ日連は当時の大陸
の情勢を知っていたそうなんだだからいつ
か蒙古が襲撃すると予測はできた生まれる
前年に上級の乱が起きているから内乱が
また起きるとかもと予測をしたのだろうぜ
なんだそんなことだったんだまあくまで
可能性だけどなさてこれにて日連の解説は
以上だ人の信じる気持ちって強いんだね
色々と大変なことがあってもめげないし
最初は全く広まっていなかった日練習も今
では全国に広まってるんだもんね人の信念
ってすごいなって思ったそうだな私たちも
諦めない気持ちを強く持たないとだなでも
石を投げられたら諦めるわ投げられるなら
投げ銭がいい私もだということで今回の
解説はここまでだぜ次回もぜひ見てくれよ
なチャンネル登録高評価もよろしくねご
視聴ありがとうございました
