
【カラー化】昭和12年 日本統治時代の台湾の解説 ※概要欄も参考に。
昭和12年 日本統治下の台湾のカラー化映像。
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台湾の基礎知識(下記参考)。
【基本】
中華民国
(台湾という名称は、先住民族の言葉に由来)
首都: 台北(たいぺい)市
最大都市: 新北(しんぺい)市 約400万人
面積は九州と同程度
人口は約2,300万人
1台湾ドル(元)=約4円
日本との時差 -1時間
日本の与那国(よなぐに)島と台湾の最短距離は約110km
中国本土と台湾本土の距離(台湾海峡)は約150km
東京から飛行機で約3時間半
台湾と国交のある国家は世界で14カ国のみ
(形式上は日本とも国交はない。)
アメリカの「台湾関係法」により中国の脅威から守られている。
【台湾の有名企業】
半導体組立のTSMC、(シャープを買収した)OEM(=下請け加工)のフォクスコン(鴻海(ホンハイ)グループ)
パソコンのasus(えいすーす)、パソコンのacer(えいさー)、スマートフォンのHTC、自転車のジャイアントetc
【本省人と外省人】
・現在、日本統治時代から台湾に住んでいる「本省(ほんしょう)人」は75%を占める。
・蒋介石の軍隊(国民党)とともに戦後に渡ってきた「外省(がいしょう)人」は人口の12%。
・原住民は人口の2%にすぎないが、台湾政府は16民族に分類して認定している。
→戦前の日本では原住民を総称として、「高砂族(たかさごぞく)」と呼んだ。
・ビビアン・スーは、母がタイヤル族。父が客家(はっか)人。
※本省人のルーツは、明(みん)末期の1600年代末に移り住んだ福建省出身の漢民族で、閩南民系 (びんなんみんけい)と呼ばれる。
【客家(はっか)人】
・客家(はっか)人は、上記の本省人や外省人とは別の漢民族の一支流の民族で、台湾の人口の12%を占める。春秋戦国時代の王族の末裔といわれる。
他の漢民族とは習慣も異なり、中国国内を流浪していた移民で、土着していないというニュアンスで「客家人」といわれる。
移民の通例として土地の所有が困難であったために流通や商業に従事することが多く、子弟の教育にも熱心なことで知られる。
・客家(はっか)人は偉人が多く、中国共産党の鄧小平やシンガポールの創立者リー・クアンユーも客家(はっか)人。
これらの特色から「客家(はっか)人=中国のユダヤ人」などと呼ばれることもある。
客家を含む華僑(かきょう)はユダヤ人・アルメニア人・印僑と共に「四大移民集団」の一つといわれる。
※一説ではイギリスが中国への植民地時代に客家(はっか)人を上手く利用していたともいわれる。
【台湾語】
・台湾には、中国語とは異なる(中国人にも通じない)「台湾語」という言語が別にあり、台湾人口の75%以上の人が話すことができる。
台湾人の祖先は、17世紀から福建省から移住してきた人たちが大半で、「台湾語」は福建省の閩南(びんなん)語に似ている。
【戒厳令】
・台湾は、1947年2月28日の蔣介石が率いる国民党軍事独裁政権の弾圧(銃撃事件)による「二二八事件」で国民に約3万人の犠牲を出した後、1949年~1987年まで長期にわたる戒厳令(圧政)が敷かれていた。(※白色テロと呼ばれる)
戒厳令下では、”特務”と呼ばれるスパイを国民の生活の中に送り込んで常に監視していた。
・1979年の「美麗島(びれいとう)事件」では大規模な言論弾圧が行われた。
→この事件の弁護士が後の総統になる陳水扁(ちんすいへん)氏
・国民の世代交代が進んだ1988年、日本統治時代を知る親日の李登輝(りとうき)が第4代総統に就任し、戒厳令が解除され、国民の自由や民主化が進んだ。
戦後の政府による過去の圧政にも正式に謝罪した。
※李登輝(りとうき)は「台湾民主化の父」と呼ばれる。
※戦後直後の台湾国民の間では、「戦前の日本は色々うるさかったが役には立っていた。一方、戦後の中国国民党の役人は役にも立たず食い荒らすだけだ」、という意味を込めた比喩で、「犬(日本)が去って豚(中国国民党)が来た」と表現されていた。
【歴史】
元々、台湾はポルトガル人が発見し、フォルモサ(formosa 美しい島、美麗島)と呼ばれていた。
台湾の政権は、17世紀初頭のオランダから始まり、その後、明(みん)の鄭成功(ていせいこう)、清国、日清戦争後から太平洋戦争終戦までは日本統治領、戦後の中華民国領と変遷している。
※鄭成功(ていせいこう)は、長崎県の平戸生まれ。母親は日本人、父親が中国人。幼名は森福松。
台湾ではオランダ軍を討ち払った人物として知られている。
【政権】
台湾は、民主進歩党と中国国民党の2大政党制。
※蔡英文(さいえいぶん)は、民主進歩党で第7代中華民国総統(14期・15期)。
【地理】
・台湾は、台湾本土の「台湾省」と、中国本土にごく近い金門県と連江県(れんこうけん)の「福建省」という2省に大きく分けられている。
・台湾本土は、6直轄市(台北市、高雄市、台南市、台中市、新北市、桃園(とうえん)市)、
3省轄市(基隆(きーるん)市、新竹(しんちく)市、嘉義(かぎ)市)がある。
・台湾には玉山(ぎょくざん)と呼ばれる富士山よりも高い山がある。標高は3,952m。
→富士山より高い新しい山であることから、日本統治時代は、明治天皇により新高山(ニイタカヤマ)と命名されていた。
※真珠湾攻撃の暗号電文「ニイタカヤマノボレ」として有名。
☆新竹(しんちく)市は現在ITの集積地で「台湾のシリコンバレー」と呼ばれ、重要な拠点となっている。
※台湾の金門島と中国本土は10㎞しか離れていない。過去に4度中国と交戦している。
→終戦直後の金門島の戦いでは、日本の軍人、樋口季一郎が中国から守るための指揮の一役を担った。
・現在、金門島では中国から大量に打ち込まれた大砲の弾の鋼を利用した「金門包丁(金門菜刀)」が名産品となっている。
【日本統治時代】
・台湾の統治は、風土病、阿片中毒者の多さ、原住民の反乱などで統制が難しく、「台湾売却論」まで出ていた。しかし、医師でもある後藤新平の指導の下、伝染病の防疫、阿片中毒者への対処、インフラ整備、産業振興により近代都市へと発展させることに成功した。
・日本統治時代には、台湾3大百貨店と呼ばれた台南の「林百貨」(1932年末、日本人の林方一(はやしほういち)氏が開業)と、台北の「菊元百貨」、高雄の「吉井百貨」が存在し当時は珍しいエレベータも設置されていた。
・戦前の台湾の特産品は樟脳(しょうのう)。樟脳はクスノキから採取し、消臭剤、薬の鎮痛作用の他、当時セルロイドの可塑剤として非常に大量に使用されていた。
→日本は台湾においてクスノキのプランテーションを経営。20世紀はじめには世界最大の生産国だった。
鈴木商店(鈴木財閥) は台湾における樟脳事業が中心の一つだった。
※八田与一(はったよいち)は、台南市にアジア最大のダム、烏山頭(うさんとう)ダムを完成させ治水、灌漑に貢献した。
※土倉龍治郎(どくら りゅうじろう)は、林業、樟脳(しょうのう)採取事業で成功し、また台湾で初めての水力発電会社を設立した。
※新渡戸稲造(にとべいなぞう)は、台湾の製糖事業の発展に貢献した。
※河合鈰太郎(かわいしたろう)は、世界三大鉄道に数えられる台湾の高山鉄道、阿里山鉄道開通に尽力した。
※長谷川謹介(はせがわきんすけ)は、北の基隆(きーるん)から南の高雄に至る「台湾縦貫鉄道」を完成させた。
※末永仁(すえながめぐむ)は、台湾に適した蓬萊米(ほうらいまい)を開発し、台湾農業に貢献した。
※浜野弥四郎(はまのよしろう)は、台湾の下水道の整備を担った。
※SF作家の星新一の父親、星製薬の星一(ほしはじめ)と後藤新平で阿片患者の軽減活動に取り組んだ。
※近藤兵太郎は、先住民族と漢民族の合同野球チームを育成し、台湾野球の発展に貢献した。
※西郷菊次郎(西郷隆盛の息子)は、温泉地として人気を誇っている台湾の東北、宜蘭(ぎらん)県の町の発展に大きく貢献した。
【その他】
☆歌手の一青窈(ひととよう)の父親は、戦前の台湾の名家・基隆(きーるん)「顔家」の出身で金山経営で知られた一家。当時の五大名家の一つ。
→金山の跡地は、「九份(きゅうふん)」として、現在、日本人観光客の人気エリアになっている。
【台湾の県の読み方】
澎湖(ほうこ)県→台湾海峡に浮かぶ澎湖諸島
南投(なんとう)県→台湾の中心部一帯を占める県
苗栗(びょうりつ)県→新竹市、台中市を繋ぐ
新竹(しんちく)県
宜蘭(ぎらん)県
屏東(へいとう)県
雲林(うんりん)県
嘉義(かぎ)県
花蓮(かれん)県
台東(たいとう)県
彰化(しょうか)県
金門(きんもん)県
連江(れんこう)県
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